亘理の礎を築いたのは、伊達成実という武将です。伊達政宗の片腕として活躍し、亘理を治めてからは、まちづくりに力を入れました。亘理はもともと、阿武隈川の河口で細々と漁をし、畑を耕す小さなまちでした。成実が町場を整備し、新田や塩田を開き、用水路を整え、豊かなまちが出来上がっていったのです。そんなかつての様子を伝える4つの歴史スポットを紹介します。
JR亘理駅を降りると、目に飛び込んでくる「お城」。それが、「悠里館」です。
開館は平成6年(1994年)。
1階にある郷土資料館では、縄文時代から現代までの亘理町を紹介しています。地元で代々受け継がれてきた民話を聞くコーナーも。2階には図書館が併設されているので、亘理の歴史や文化を学びたいならまずここを訪れて。
さらに、5階展望ホールからは町内が一望!
東は太平洋、西は蔵王山を望めるビュースポットでもあります。
慶長7年(1602年)に伊達成実が亘理領主になってから、亘理伊達家は14代にわたってこの地を治めてきました。
亘理の発展を支えた歴代当主と当主夫人の墓所が並ぶのが、亘理領主伊達氏歴代墓所。初代成実、成実の父実元、5代実氏は霊屋が、2代宗実から5代実氏夫人の墓は宝篋印塔という石の塔が建てられています。
20人以上の当主夫妻の墓所が同じ場所にあるという、貴重な墓所です。
亘理伊達家の菩提寺として、墓所を守るのが大雄寺。
慶長9年(1604年)、伊達成実が創建し、菩提寺を移したと伝わります。今は、創建当時の建物は失われましたが、江戸時代後期に再建された山門が残っています。
大雄寺がある小高い丘は、鎌倉から室町時代にかけて、豪族・亘理氏の居城「小堤城」があった場所。
亘理町を一望できるこの場所で、亘理伊達家の当主たちは静かに眠っています。
明治12年(1879年)、亘理の人びとが亘理伊達家の居城跡に伊達成実の遺徳を後世に伝えようと、創建した神社。神社の側には成実の一代記を刻んだ大きな石碑が建てられています。
武将成実にあやかり、戦争の際には戦勝祈願され、境内奥には戊辰戦争の碑をはじめ招魂碑などが建立されています。
さまざまな木々が伸びる鎮守の森には、ソメイヨシノも植えられ、春になると参道は桜のトンネルになります。正月には一年の健康を祈る祭り・どんと祭が行われ、地域の人々が集うスポットになっています。
亘理町の歴史や文化に関しては
WEBサイトぶらっとわたりで詳しく掲載されています。